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私の体験6 アトピーになった要因とは!? 

大爆発を起こしたような状態となった私のアトピー性皮膚炎、その真っ暗闇な状態から、
「だまされたつもりで行ってみないか?」と知人にすすめられ、向かったのが、
京都府宇治市にある生長の家宇治別格本山の練成会。
 10日間合宿のような生活が始まり・・・・。

 ここまでの体験はコチラ→私の体験1 夜明け前

 から順番にお読み下さい。

前回はコチラ→私の体験5 人生を変えた一言

 質問用紙を提出したら、必ず答えてくれる・・その時間が輪読座談会だった。
 たくさんの質問の中から、2番目に質問用紙が読まれた私。

 楠本加美野講師が、「アトピーの人は誰かね?」と言った。


 (し、しまった・・・・。)私は質問用紙を出したことを後悔した。人からジロジロ見られる、ということがとても気になり、できるだけ他の人にわからないように、と思っていたのに、皆の前で目立ってしまう・・。
 しかし、私が手を挙げて返事をする前に、すでにそこにいた人たちは私の方を見ていた。
「先生、この人・・・。」と指をさされてしまい、私はとても恥ずかしい思いをしながら、ゆっくり手を挙げた。

「私ですが・・・。」

「あああ、あんた、アトピーだねえ。」
(そ、そんな大きな声で言わなくても・・・ああ、恥ずかしい・・・。)
座談会はだいたい2班ずつに分かれているのだが、楠本講師の担当する班は3班で、一番大きな会場を使うため、ピンマイクを使って指導される。「アトピーだねえ」の声がスピーカーを通して会場中に響き渡った。
次に出た言葉が衝撃だった。

「アトピーの人は、人を憎んでいたらなるんだけど、あんた、誰憎んでいるんだ?」

(はあ!!??私が人を憎んでいる??初対面の人になんという失礼なこと言うんだ??今会ったばかりなのに、いったい私の何を知っているんだ??そりゃ、仕事ではかなり人間関係に悩んでいたけど、初対面人に、人を憎んでいると言われる筋合いはないわ!!!)
 そう思った私は、
「いえ・・・、仕事ではいろいろありましたけど、人を憎むなんてことは・・・」
と、返事をしたかと思うと、すぐに次の言葉が返ってきた。

「そうかね・・それでなきゃ、ならないけどねえ・・・」
 今振り返ってみたら、この指導は本当に私の人生を大きく変えた瞬間だった。
 この楠本講師の言葉によって、それまで外に答えを求めていた私の心は一変してしまった。

(そんなわけあるはずがないじゃないか!)と思う反面、
いったい何のことを言っているのだろう?あの時の俺の気持ちだろうか?
あの人に対してのことだっただろうか?と、自分の内側を探し始めたのだった。
 誤解のないように言っておくが、アトピー性皮膚炎の人が皆誰かを憎んでいるというわけではない。
それは、私自身が生長の家に勤め、講師となってたくさんのアトピーの人と会ってお話をしたので、よくわかる。
中にはむしろたくさんの人を愛し、優しいがゆえに苦悩しているアトピーの人もいた。
 
また医学的には、アトピー性皮膚炎はいくつかの要因が複合的に重なってアレルギー反応を過剰に起こしていると言われ、その中には食物や家ダニ、ハウスダストなどの物質的な要因も含まれている。
 しかし、中にはストレスという心的要因もあり、私の場合はこれがとても大きかったように思う。
 
生長の家では「心の法則」を説いている。つまり「肉体や環境に顕れることは、心の影である」という真理で、
仏教的には「三界は唯心の所現である」と言う。
 これは、「人間は神の子であり、本来は完全円満な素晴らしい存在である」という真理とともに教義の柱となっている。
 
 例えば、「寒いから風邪を引いた」とよく人は言う。しかし、10人を同じ条件で寒風の中に何時間か立たせても、全員が風邪を引くとは限らない。ある人は風邪を引いても、ある人は元気だったりする。その違いは何か?
 それを私たちは何となく理解している。例えば10人の中に、青白い顔でうつむき加減な人がいたとしよう。寒風の中に立つ前から「こんなことをしたら風邪を引いてしまう・・・」とつぶやき続けている。またもう一人は笑顔で明るく、「どんな体験か楽しみだなあ」と言っている。どちらが風邪を引きそうかは、ほとんどの人がわかるだろう。つまり、心的な要因が大きく左右していることを知っているのだ。

 私は以前携帯のニュースで、このことについて書かれた文章があったので、ブログで紹介したことがあった。その文章は順天堂大学医学部アトピー疾患研究センター長の奥村康氏が監修されていた。
 
「風邪を引く人と引かない人の違い(1)」
「風邪を引く人と引かない人の違い(2)」

 このように、病気になるということは、外界よりむしろ、自分の内側、すなわち心にその要因があるのである。
これに気がついて、自分の心を内省して、それを、あたかも鏡についた埃のごとく、取り払ってしまえば、ちゃんと本来の自分の姿が映し出される。
その本来の自分こそ「人間は神の子であり、本来は完全円満な素晴らしい存在である」ということである。

 では、皮膚に顕れる、というのは、どういった心の影が映し出されているというのか?
また、楠本講師はなぜ私に「あんたは誰を憎んでいるのか?」と言ったのだろうか?
 
(つづく)

   
  
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