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震災・・・あの時。

 カリブ海の島国・ハイチで、日本時間の1月13日朝、マグニチュード7.0の大地震が発生し、
大変な被害が出ているようです。
 心からお見舞い申し上げるとともに、一刻も早く人々が救援され、街が復興されますことを心よりお祈りいたします。
 地震といえば、今から15年前、日本でも大きな地震がありました。
 阪神・淡路大震災。明後日がちょうど15年目のその日です。
 
 今日はあの時の体験を書きます。
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 もうあれから15年がたったのか・・・。
 私は当時、京都の宇治にいた。古い建物の中、窓がガタガタと揺れ、ガラスが割れるか、天井が落ちてくるかと思った。
 後で知ったその場所のその時の震度は5ぐらいだったと思う。
 ニュースでは横倒しになった高速道路を映し出していた。
 おそろしい光景だった。神戸はどうなってしまったんだろう?

 それから何日かして、神戸の街に向かった。上司に連れられて。
 普通はJRで京都から神戸へ向かえばあっという間だが、当然鉄道も寸断されている。
 結局、行きは大阪から神戸のずっと北の方に向かっての鉄道を使った。それがどこの電車だったか覚えていないが、そこだけは運行していた。そしてかなり時間をかけ、神戸に着いた。
 建物が崩れ、建っているものも、あっちこっちに向きを変え、斜めに倒れかかり、目が錯覚を起こすような感じだった。
 公衆トイレが便で山盛りになっていることが最も鮮烈だった。
 ほとんど何もできずに、結局帰りは船で大阪に戻り、そこから京都へ帰った。

 震災から1週間後ぐらいだっただろうか…救援活動に行くメンバーに選ばれた。
大阪を拠点として、芦屋以東に行くのだった。
水とカセットコンロと原付を荷台に積んで、トラックで向かう。
縁ある人の家を一軒一軒訪ねて回った。
私たちが声をかけると、全壊の家の前で、今まではりつめていた糸が切れたように、涙を流して泣く人たちを見た。 悲しみ、やり場のない怒り、感謝と安堵…いろんなものが入りまじった気持ちだっただろう…

 ある日訪ねて行った家の人が、小学校に仮設された避難所にいることがわかった。
私たちは校舎の奥へと、その人に会うために足を運んだ。
たくさんの疲れ果てて不安げな顔の人たちのそばを通り過ぎると、目的のNさんは奧にいた。
声をかけると微笑みを浮かべて「まぁ、ここまで来て下さるなんて、大変だったでしょう」とこちらが労われた。
「避難所生活で不自由でしょう」こんなことしかかける言葉が見当たらない。
しかし返ってきた言葉は
「いえいえ、こんな暖かいところに寝させていただき、炊き出しで食べ物までちゃんといただいて、本当にありがたいです。皆さんによくしていただいてます。」

その微笑みは輝いていた。
被害の状況や心境は人それぞれだろう。しかしどんな状況下でも、こうして微笑むことができる人がいる…。
天国も地獄も、環境ではなく人の心しだいなんだ…と教えられた。
 こうして多くの人の感謝はエネルギーとなって、その後地震に見舞われた人たちへ大きな援助を差しのべている…。
人生の出来事はどんなことも大きな何かを教えてくれているんだ…と思う。
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テーマ : 地震・天災・自然災害 - ジャンル : ニュース

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