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来週日曜日は久しぶりの講話。テーマは「幸せな生き方」です。

来週日曜日 8月5日午後1時から、久々に、講話いたします!ど​なたでも、ご参加自由!暑い日が続きますが、心も体も元気になる​お話を!どうぞ、お時間ある方、ぜひどうぞ!
詳細はこちら↓

日時;来週日曜日、8月5日 午後1時~2時30分
場所:原宿駅下車 竹下口から徒歩5分 生長の家本部南館2階 
テーマ;幸せな生き方 (映画のタイトルみたいだな、これ・・・​・・)

 「われわれは、人間として生まれてきた以上、幸福に暮らしたい​。これは人間として、本能的にもっている欲望である。しかし人生​はそんなに幸福な人ばかりで充たされていない。それはどうしたわ​けであろうか。その一つは彼らが「心の法則」を知らないこと、そ​の二つは幸福とはなんぞやということを知らないからである。・・​」
谷口雅春・生長の家創始者著『生命の實相』第7巻生活篇より。

 本当の幸せって、なんでしょうか?どうしたら毎日幸福だな、っ​て思えるんでしょうか?その秘訣が上の文章の2つのポイント。震​災、原発事故、再稼働・・・私たちの生活と価値観を見直す重要な​この時期に、「幸せ」について、考えてみましょう。

皆様のお越しをお待ちしております!
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テーマ : 心と幸せ - ジャンル : 心と身体

tag : 感謝 体験 原発 自然 真理 講話

私の体験21 涙とともに浮かんできたもの④ 妹と弟

大爆発を起こしたような状態となった私のアトピー性皮膚炎、その真っ暗闇な状態から、
「だまされたつもりで行ってみないか?」と知人にすすめられ、向かったのが、
京都府宇治市にある生長の家宇治別格本山の練成会。
 10日間合宿のような生活が始まり・・・・。

 ここまでの体験はコチラ→私の体験1 夜明け前 から順番にお読み下さい。

 前回の体験はコチラ→私の体験20 

 
「ああ、あんた、それだ。親に感謝したら、その病気はよくなるよ」そう楠本講師に言われた私。
 その答えは、練成会に参加して、4日目の午前、月次祭にやってきたのだった。
 この祭典の中で、聖経を読む時間が始まり、足のしびれを気にしながら、皆の声に一所懸命ついていこうと読んでいた。しばらく読むうちに、だんだん、胸がふるえ始め、涙が浮かんできた私・・・・。
 そうしているうちに、今度はいろいろな思いが込み上げてきたのだった。瞼の裏に、いろいろな記憶がよみがえってきた。
それはまさに、その頃に録画した映像を引っ張り出してきたように・・・。
 心の底にあったものを引っ張り出してきたように・・・・。

================================

 会ったこともない祖母、そして父、母、次々に浮かんできた寂しい姿。その次に浮かんできたのは同じ家庭環境で、同じような思いをしてきた1歳下の妹と、少し年が離れてから生まれてきた弟の姿だった。
 妹は、小さい頃、両親がケンカし、母が夜中にシクシク泣いていると、そばに寄り添って、心配しながら一緒に泣いていた。そして、自分ではどうもできないと思うのか、必ず寝ている私を起こすのだった。
 「お兄ちゃん、お兄ちゃん、起きて。また、お母さんが泣いてる・・」
 私の体を揺さぶりながら、泣いてそう言う妹の姿が浮かんできたのだった。

 妹とはよく話した。小さな頃から「離婚したらどうなるのか?」などを話した。また心配で「どうなるの?」と聞かれると、わかりもしないのに安心させようと、「大丈夫」と言ったりもした。妹が泣くと、兄としてしっかりしなければ、という気持ちが働くのか、何か気丈に振る舞った。

 一方、弟は、私が小学生の時に生まれ、年が離れている。だから、私が中学生になっても、まだ小学生にもなっていないぐらいだった。
 弟は、小さい頃、両親がケンカし、家が騒然としてくると、泣き出すのだった。顔をくしゃくしゃにして泣いた。それを見るのがかわいそうだった。
 私の瞼のうらには、その、弟の泣く姿が浮かんできたのだった。

 そうして、最後に浮かんできたのは、おつきあいをしていた女性だった・・・。


 つづく
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テーマ : 伝えたいこと - ジャンル : 日記

tag : 感謝 アトピー 体験

生長の家は、あたりまえのこと言っている?

 私は現在、生長の家本部に勤務し、また本部講師として、
その教えをお伝えする役目もいただいているが、
時折、「生長の家って、どんな教えですか?」と聞かれる。

 どんな、と言っても、一言で言うわけにもいかないが、
教えの基本的な部分を、できるだけわかりやすく説明しようとする。

 そんな時に思い出すのが、かつて私が、京都府宇治市にある
生長の家宇治別格本山に勤務していた時のことだ。

 私は、会社から派遣された、社員のための研修会の担当をしていた。
 宇治では、毎月、生長の家の教えを合宿形式で学び、実践する練成会というのが開かれている。
これは、主に、生長の家をよく知っていて、さらに深めたいという人や、
あまり知らないが、自分の問題や病気を解決したくて、求めてやってくる人が参加している。

 その練成会と、ほぼ同じ内容だが、10日間の練成会が終わった後に、「能力開発研修会」という研修会がある。
名前は、一般的にわかりやすくするために、こういう名前だが、練成会と同じことをする。

 大きな違いは、参加者が、求めて、好んで、積極的な気持ちで、来ているわけではない!ということだ。

 会社や、社長が、生長の家をよく知っていて、その教えが素晴らしく、人生や仕事にも生かせる、ということで、社員の研修として、会社がお金を払って社員を派遣する。

 社員たちは、内容をよく知らされずに来る人が多く、寺で修行か、はたまた怪しげな洗脳か、という気持ちで、
不安感と、警戒心いっぱいでやって来る。

 新入社員も多く、若い人が多かったが(その頃は私も若かったが)、
何しろ皆、何も知らず、しかもいやいや、恐る恐る来ているので、最初から聞く気持ちがあまりない。
 そんな人たちには、興味をひく内容を提供しながら、できるだけわかりやすく、
難しい言葉を使わずに、説明しないと、拒絶反応がひどくて、
かえって逆効果になって、やっぱり怪しいところだった、となってしまうのだ。

 これでは、せっかく、社員の心の修養のために、とお金と時間をかけて派遣してくださった会社に申し訳ないし、何より、せっかくのご縁で、家族と離れて研修を受けに来た人たちに、
何も得るものがないまま、帰ってもらうのも、残念でならない。
 ちょっとでも理解してもらうとか、会員になってもらうとか、そんなことじゃなく、
せっかく来たのだから、何か少しでも、今後の人生や、仕事、家庭生活を幸せに過ごすヒケツを、
一つでも二つでも、持って帰ってもらえたら、そんなことを思って、
 とにかく、わかりやすい言葉で、説明することを試みた。

 最初はガチガチで、不信感いっぱいだった参加者も、2,3日経つと、
心がほぐれてくる。
 別に、洗脳でも、何でもなく、厳しい修行もなく、
ただお話を聞き、皆と語り合い、規則正しく生活するだけだ、ということがわかってくる。

 そうして、お話を聴いているうちに、参加者たちは、私に言うのだ。

「あのさ、最初は洗脳されるんじゃないかと思って、不安いっぱいで聴いていたんだけど、
聴いていると、なんか当たり前のことを言ってるんだよね?」

「え?あ、はい・・・・・・・」

そのとおりだ!
 
当たり前のことを言っているんだ、正解だ!

例えば、当時の初日に、私が担当していた研修は

「笑うって、本当に健康にも、日々の生活にも、周囲にも、とてもいいですよ!」
「早起きって、いいですよお!朝はとてもすばらしい時間です!」

 これなら、誰だって異論はないだろう。雑誌で特集が組まれることもある。
というか、このことなら、誰でも、そのとおりだと思うだろう。


次の日は、
「明るくしていると、気分がいいですよ!そして明るいものが集まってきますよ!」
「親に感謝することって大事ですよ」

 学校の道徳の時間に聞いたことがあるだろう。これだって、言わなくてもわかっているわ、という人がいるぐらいだろう。

 3日目には
「人には意地悪ではなく、親切をしてあげましょう」

 おっしゃるとおりだ!小学生のわりと早い時期に、先生にも両親にも、近所のおじさん、おばさんにも言われたことがあるだろう。

 4日目は
「みんな、それぞれ個性があって、どれもすばらしいんですよ」

 これも、そう感じ、学校の先生がそう言ったことがあるかもしれない。

 研修に来て、参加者が聴く話は、わかりやすく言うと、このようなことなのだ。

 そうなのだ!そのとおりなのだ!「当たり前」なのだ!
 
 では、わざわざ時間とお金を使って、研修に行かなくてもいいではないか、と思われるかもしれない。

 しかし、ここが問題だ。

 「当たり前」だ!とわかったことは、それはそれで素晴らしい。

 しかし、ではその「当たり前」を、「当たり前」に、実践しているか、というとどうだろう?

 わかっているのと、実践しているのとは別だ。
 つまり、実践してこそ、本当の幸福が得られる。

 それは、どの材料をどれだけ入れたら、こんなに美味しいカレーができあがる、と知識でわかっていても、
それを実際に作ってみて、味わってみないと、「おいしいいいい!」という実感はわかないだろう。

 わかっているのと、実践しているのとでは大違いなのだ。


禅宗第一の書と言われる「無門関」を解説した書『無門関解釈』。(生長の家創始者・谷口雅春先生著)
その第七則に「趙州洗鉢」という考案がある。

ここでは、僧が修行する道場に、新しく入ってきた僧が、趙州和尚に尋ねるのである。
「わたくしは新しく入ったものです。勝手がわからないものですから、どうぞご指導よろしくお願いします」
これに対し趙州和尚は
「おかゆはもう食べたか?まだか?」と聞く。
僧は「はい、食べました」と答える。
趙州和尚はそれを聞いて
「そうか、おかゆを食べたら、茶碗を洗って来い」
ただそれだけ言ったのだった。それで、新しい僧は「ハッ」としたと、そういう話だ。

なんて、当たり前な話だ!
これなど、誰もが経験したことがあるのではないか?
例えばお母さんが、
「食べ終わったら、自分のものは自分で片付けなさい!」なんて言われたことがあるだろう。
こんな当たり前の話が、禅宗第一の書に書かれているのだ。
しかし、この「当たり前」のことを「当たり前」に行う、ということの中に、
偉大なる真理がかくされている。
 幸福に過ごす、人生を成功する、秘訣がある。


このことについて『無門関解釈』にはこう書かれている。
無門関解釈無門関解釈
(2001/01)
谷口 雅春

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ただそれだけの事である。当たり前のことが当たり前に出来るのが悟りである。
『大蔵経』を全て読破し、その字義に精通し、少しでもその解釈が仏教上のそれに相違するからとて、
玄人めかしく他を軽蔑したり誹謗するようなのが悟ではないのである。道場に精勤して先師の講義を聴き、
「悟った、悟った」などと思い上がりながら、家事は放置し、部屋の掃除も出来ていないようなのが悟ではない。
悟りと云うのはどこか天上にでも遠くにあるのではない。「此処」に「今」あるのである。
 (同書 P78)



実は、当たり前のことを当たり前にする、ということはすごいことなのだ。
それをせずに、自分でこの人生に雲をこしらえ、霧を発生させて、
見えない、見えない、暗い、暗いと言っている人が多い。

ご飯食べて、お茶碗を洗う・・・このような些細なことが大事なのだ。

当たり前だとわかっていながらも、それとまったく逆の生活をしていたりする。
だから、壁にぶち当たる。

でも、あらためて「当たり前」のことを言われてみると、はっと気がつく。
いかに自分が当たり前から離れていたか。

ではどうしたら、その「当たり前」に戻って、実践できるか。
そのことをお伝えして、「当たり前」が出来ることの道筋を立てるお手伝いができれば、
そう思って、ブログを書き、お話をしています。

 自分自身も、また、気づかないうちにはずれることもあり、
さっき引用部分に襟を正し、また学んで、実践して、精進していこうと思います。
 
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tag : 日常 信仰 生活 あたりまえ 感謝

私の体験20涙とともに浮かんできたもの③泣いている母の姿

大爆発を起こしたような状態となった私のアトピー性皮膚炎、その真っ暗闇な状態から、
「だまされたつもりで行ってみないか?」と知人にすすめられ、向かったのが、
京都府宇治市にある生長の家宇治別格本山の練成会。
 10日間合宿のような生活が始まり・・・・。

 ここまでの体験はコチラ→私の体験1 夜明け前 から順番にお読み下さい。

 前回の体験はコチラ→私の体験19 

 
「ああ、あんた、それだ。親に感謝したら、その病気はよくなるよ」そう楠本講師に言われた私。
 その答えは、練成会に参加して、4日目の午前、月次祭にやってきたのだった。
 この祭典の中で、聖経を読む時間が始まり、足のしびれを気にしながら、皆の声に一所懸命ついていこうと読んでいた。しばらく読むうちに、だんだん、胸がふるえ始め、涙が浮かんできた私・・・・。
 そうしているうちに、今度はいろいろな思いが込み上げてきたのだった。瞼の裏に、いろいろな記憶がよみがえってきた。
それはまさに、その頃に録画した映像を引っ張り出してきたように・・・。
 心の底にあったものを引っ張り出してきたように・・・・。

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父の姿の次に浮かんできたのは母だった。

 母の寂しそうな姿が浮かんできた。それは、私が高校生の時、学校から帰ったら、暗い部屋で、布団を敷いたまま、泣いている姿だった・・・・。
 母は、実は3歳の時に父親を亡くしていた。
 昭和20年8月17日のことだった。その頃、母は家族とともに山口県宇部市にいた。母の父親、つまり私の祖父は当時、宇部の軍需工場で働いていたのだった。その時母は3歳、母の弟は1歳半だったという。
 母は今でも雷が大嫌いで、ゴロゴロと鳴り出すと、とても怖がるが、これはおそらくこの頃の空襲の、焼夷弾の光と、爆音の記憶が心の奥に残っていて、トラウマとなっているのだろうと思う。
 8月15日終戦。日本は敗戦し、大混乱だったことだろう。そんな中、祖父は「工場の後片付けに行ってくる」と17日、出かけたのだった。
 その途中で、脳溢血か、脳内出血を起こし、倒れ、倒れたところにバスが来て、ひかれて即死だったそうだ。享年41歳。今の私より若い。3歳と1歳半の、かわいい盛りの子供を置いて、あの世に行かなければならなかった祖父は、どんな思いだったことだろう・・。
 その後、祖母は、荼毘に付して、お骨を持って、郷里・大阪に、二人の子供を連れて帰ったという。以来、祖母は再婚せず、女手一つで二人の子供を育てた。
 祖母は平成20年に亡くなったが、生前は祖父の悪口や生活の愚痴など言ったことがなかった。特に祖父については、「本当に優しい人だった。怒ったところを見たことがなかった。うちにおばあちゃんがいたけど、いつもとても優しくしていた」と、遠くを見る目で語っていたことをおぼえている。祖母は、ずっと祖父のことを愛し続けたことだろう。今頃はあの世で再会を果たし、仲よくやっているだろうか・・・。
 一方、母は自分の父親が亡くなったのが3歳の時なので、ほとんど記憶がなかった。残されたわずかな記憶は、一緒に写っている一枚の写真だった。
 今のように、デジカメや携帯で、ドンドン撮影して、いらないものはすぐに消去できるような世の中ではない。写真1枚がとても貴重な時代だ。
 母の記憶に残っているのは、幼い自分が父親に抱っこされている白黒の写真だった。写真では、抱っこしている父親の手が、自分の手の甲の上に重なっている。
 母は、以前からずっと、「この手の感触だけが残っている」と語っていた。
 私が高校生の時、母はノイローゼ状態となり、家に帰ると、髪の毛を乱して、暗い部屋の布団の上で、すすり泣いている母の姿があったが、その時に、この写真を握りしめていた時があったのだった。
 浮かんできた母の姿は、その写真を見て、自分の手の甲をさすりながら、泣いている姿であった・・・。
 母の次に浮かんできたのは、妹と弟だった・・・。

つづく





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tag : アトピー 体験 感謝

明日への光



かつて住んでいたところからほど近い、愛知県蒲郡の海。

出張の移動中に見た海の上から照らす太陽。

思い出や過去を乗り越えて、明るい未来を照らしているようだ、と思った。
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